こんにちは。ぱなしのお玲です。
私はうつ(寛解)と発達障害で障害者手帳3級を持っているのですが、同様に発達障害と診断された子供が3名います。
そうしましたら、Xで早速「ガイジがガイジを産むな」というコメントをいただきました。
そこで、今回はこのコメントについて考察してみたいと思います。
まず、私の第一印象は「わっ!ぶつけられた!」というものでした。
私は地方在住なのであいにく出会ったことはないのですが、都会にはいるらしいじゃないですか。道行く人にわざと肩をぶつけて歩く、通称「ぶつかりおじさん」が。その人に肩をぶつけられたみたいな気持ちがしたんです。
つまりこれは、「インターネットのぶつかりおじさん」との遭遇です。
この方に限らず、けっこう散見されるんですよね、インターネットのぶつかりおじさん。
(まぁ、相手はネットの向こう側にいらっしゃって見えませんので、実は女性の方かもしれませんが、一旦こうした方々をこのように総称させていただきます。)
それで、このインターネットのぶつかりおじさん(以下おじさん)は、どのような意図で、私に何を伝えたかったのかな、というのを考えてみました。
このように、わざわざ道義的ではないコメントを、衝動的にしてしまう背景には何があるのか。
まず、おじさんはさみしいんだと思います。
誰かとぶつかると、その一瞬だけ「つながり」ができるじゃないですか。その一瞬の接触を求めてしまうほど、人との触れ合いに乏しい状態なのではないかと推測しました。
さらに、自分が外の世界に影響を与えている、という感覚が得たいのかなとも思いました。それで、自分の存在感を確かめたい、という気持ちもあるのかもしれません。
例えば、赤ちゃんはリモコンが好きだったりするんですけども、なぜかというと、自分がボタンを押すことで画面がついたり消えたりするのが楽しいんですよね。「自分の行動で、世界が動いた」感覚が面白いんだと思うんですが、まさにそれと同じ。
「自分の行動で、他人が反応する」という感覚が楽しいんだと思います。言ったら、これがおじさんの、「外の世界と接続するリモコンボタン」なんですよ。
ただまぁ、そんなやり方をやっていると、まず人から遠巻きにされます。ズバリ、おじさん、嫌われちゃいますよね。おじさんにもそれがわかるから、フラストレーションがたまる。それを発散させるために、またぶつかりに行く。この繰り返しなんだと思います。
一瞬、ゴリゴリの優生思想の方なのかな、とも思ったんですけども、多分違います。優生思想というよりは、衝動的に書き込んでしまった印象。フラストレーションを発散させるのにちょうど良かったから、という感じがします。あんまりちゃんとした主義主張はないと思われます。
ただ、完全に「なんでもいい」発散か、と言われたらそうでもなく、「弱そうな人」「叩いてもいい認定した人」を選んでいるんだと思いますよ。
ほら、道端のぶつかりおじさんも、マッチョにはぶつかりませんよね。反撃が怖いから。それと一緒です。おじさんは、「安全な標的」を選んでやっているのです。
というわけで、おじさんのことがけっこう理解できた気がします。なんか、あれですね。
発達障害も大変ですけども、定型発達もちょっと複雑なんですね💦
以上、
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
いつも感謝です(人•ᴗ•♡)