こんにちは。ぱなしのお玲です。
ネットで、ちょっと「ほんまかいな」という映像を見かけてびっくりしましたのでシェアします。まずは、こちらの画像をご覧下さい。
この選択肢の中で、本心からコーヒーを飲んで欲しいと思っていての発言は1つだけなんですって。ちょっとみなさん、考えてみてください。
はい、考えましたか?では正解です。
京都の人って、まじでこんなことやっているの?
京都、修学旅行で行ったことありますけども、リアルでディープな京都の人と話したことがないですし、多分この先も関わり合うことがないので、永遠に謎のベールに包まれた存在なんですよね。このご時世にこのハイコンテクスト文化をどうやって保てているのか。どうなんですの?
そして、やっぱり気になるのは京都に住む非定型発達の方々。非定型発達は、嘘や方便というものが苦手なので心配になります。大丈夫?京都で息できているの?
ここで私の予想を書きますね。
- 京都の人って、まじでこんなことやっているの?
⇒京都も広いので、すごく狭いエリアだけのことではないでしょうか。
- このご時世にこのハイコンテクスト文化をどうやって保てているのか。
⇒一見さんお断り、みたいな排他性で外部を入れないことで保持していると思われます。
- 京都で息できているの?
⇒無理な人は高校卒業などのタイミングでその狭いエリアから出るのではないでしょうか。
そして、私だったらどうするかですが、多分突き抜けると思います。よそ者アピールをして、そのルールの中では生きようとしないと思います。例えば、お腹いっぱいでも「ぶぶ漬け」おかわりするくらいのことをして、理解を求めると思います。私外国人なので、外国人として接してください。をするんじゃないでしょうか。いや、わからんですけどもね。住んでいる間、泣いて暮らすやもしれませんが。もしくは、いくばくかの面白みも感じますので、こういわれたらこう答える、という問答集をとにかく暗記してこの文化にガッツリ向かい合おうとするかもしれません。その状況に置かれてみないとわかりませんね。
でも、ディープな京都は定型発達からしたら、気遣いの極みですよね。「波風立てたくないルール」をただ遵守しているだけなわけで、こんな風に面白おかしく取り上げられるのも可哀想な気がします。
それとも、気遣いは形骸化してしまっていて、ただのイケズの道具に使われているだけなのでしょうか。ディープな京都がやっぱり気になります。
「波風立てたくないルール」とは?と思った方は
以上、
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
スター、読者になるボタンをお気軽に押していただけますと、更新の励みになります!