前回の続き。
pha著『パーティが終わって、中年が始まる』
序盤のみ読んでみた感想。
1、
中年=存在感が増す
若者=存在感が薄いのか?
とにかく若者は、キラキラ輝いている。
若さって、キラキラとした輝き。
だから、どんなボロをまとっていてもいい。存在自体が輝いているんだからどんな服を着たって似合うんだと思う。
でも、中年はそうじゃない。
若さが衰えて、輝きは失われる。
だから、身ぎれいにしておかないと、とんでもなくむさ苦しい存在になってしまうんだと思う。
中年になったら存在感が増すのか?あまりそうは思わないけれど。態度がでかくなるだけではなかろうか。
2、
みんなちょうどいい頃合いでパーティを抜け出すんだよ。朝までは残らない。
私は、パーティにはもう飽きたな。そろそろ次のステージに行きたいと思ったので29才で結婚して、その後3度出産をした。
パーティで言うと、夜中の12時頃に自宅に帰ったというわけ。
子供が生まれると、自分の「次の世代」という存在を、間近で、日々観察することになるのである。
お肌もピッチピチな、若さの塊。
そうすると、中年への移行が段階を踏んで行えるような気がする。
あぁ、私はもう折り返しなんだな。これからは次世代の時代なんだ、というのを折に触れて感じることができる。
結局、子育てというのは一種の通過儀礼なのかもしれない。「老い」を体感し、それを徐々に受け入れていくための。
その通過儀礼を通らなかったら、気づいたらいつの間にかパーティが終わっていて、周りには誰もいない。ふと鏡を見たらそこには年を取った自分が写っていた、みたいな「浦島太郎」感覚を味わう人もいるんだろう。
普通の人は、会社で新人を育成したりして育児の疑似体験を味わうところ、作者はそんな機会もなかったんだろうと思う。
3、
発達障害民は、パーティをずっと味わえる。なにせ精神年齢が若いので。
正直、「定型発達の人って、こんな風に中年クライシスを味わうのか」と思った。
我々発達障害民は、精神年齢が若い。大体、実年齢の2/3と言われている。
40才×2/3=26.3才
40才でやっと、20代後半の精神年齢なのだ。
私は本も読むし、宇多田ヒカルのライブも行くし、旅行だってめちゃ楽しいし(今年は3回行く)、朝は4時起きだし、新しい友達も作るし、家も買うし、なんなら副業もするよ。
どれもまだまだ楽しいし、エネルギーであふれているよ!
つまり、発達障害民が真に楽しめるのは、人生折り返してからなんじゃないかと思っている。
周りが人生にくたびれ出した頃に、やっとエンジンかかって来るタイプ。
まさに「大器晩成」とは、発達障害民のための言葉なのではないだろうか。
80才×2/3=53.3才
80才になっても、まだまだ気持ちは若い!
そりゃあ定型発達に生まれるに超したことはないけど、それでもよく見たら発達障害にも良い側面はあるよ、という好例。
以上、序盤だけを読んでの感想。
(後で全部読んでみる。)