うつと発達障害の子3人を抱えても、私は楽しく生きていく。

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次に読みたい『パーティが終わって、中年が始まる』

『パーティが終わって、中年が始まる』

 

中年と言われる年になった私にグッと刺さるタイトルの本を見つけた。

 

どうやら先月出たばかりの新刊で、出版の宣伝も兼ねてであろうが、本からの一部抜粋で構成されたネット記事があった。いま全3回の2回目部分まで読める。

 

(興味のある方はこちらからどうぞ。)

第1回 定職・家族なしで40代突入、感じた「生き方の限界」

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ae1974993cc00d4b8a6b862a5b4f364d727fda7

第2回 【中年の日常エッセイ】年をとると「不要な存在感」が否応なく増している。こんなつもりじゃなかったのに。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9c8ad02072817a31cbc7c0fc7841f25fce61b8e2

第3回 現時点で未配信

 

作者は、京大出身の方で、時々テレビでもお見かけしたことのあるphaさんである。

 

定職にもつかず、家族も持たず、シェアハウスにインターネットで知り合った仲間を集めて、あまり働かずに毎日ゲームとかをして暮らしていた

 

という20~30代。

40代になって、若いうちは楽しかったことが、今は楽しく感じないのだという。

 

最近は本を読んでも音楽を聴いても旅行に行ってもそんなに楽しくなくなってしまった。加齢に伴って脳内物質の出る量が減っているのだろうか。今まではずっと、とにかく楽しいことをガンガンやって面白おかしく生きていけばいい、と思ってやってきたけれど、そんな生き方に限界を感じつつある。

 

今やっても面白いと感じないことの一例として、「雑魚寝」を挙げている。

 

以前は友達の家を渡り歩いたり、シェアハウスを作って、来る者拒まず人を泊めたりして、あちこちで雑魚寝していたけれども、今は全くそんなことをしたいと思わなくなってしまったのだという。

 

中年になって、他人と一緒に過ごすことの許容度が下がったのはなぜだろうか。なんだか中年になると、自分も他人も、存在しているだけでうっとうしさが発生してしまっている気がする。

 

中年=うっとうしさが増す、ということなんだろうか。

そういえば最近身ぎれいにするようになったのは、そのうっとうしさを少しでも軽減するためではないか。

若い頃はむしろ好んでむさ苦しい格好をしていたのに。

 

そう振り返る作者。

 

若い男子がボサボサの髪の毛でヨレヨレの服を着ていても、まあこの子は見た目に頓着していないんだな、と思われるだけだろう。  

 

中年以降の男性がだらしない格好をしていると、なぜ危険な雰囲気になってしまうのだろうか。周囲を怯(おび)えさせないためには、ある程度のこざっぱりさを身につける必要があるらしい。 面倒だけど。

 

中年になると、存在感が増してしまうのではないかと考察する。

 

中年になると、ちゃんとした格好をしないと人を警戒させてしまうのは、年をとると存在感というものが否応なく増してしまうからではないだろうか。

 

ずっとどうでもいいフラフラとした存在でいたかったのに、中年になって存在感が増してしまった。

 

今までと同じ行き方をいつまでもしていたかったのに、どうやらそうもいかないみたいだ。

 

 

そんな中年クライシスに陥った現状をわかりやすく言語化している本なんだと思う。短い抜粋だけではなくて、通して読んでみたいと思った。

 

ただ、ここまで読んだ中で反論というか、「それって、こうなんじゃねーの」と思ったことがいくつかあるので、それは次回お話ししたいと思う。