こんにちは。ぱなしのお玲です。
昔、職場で特定の宗教を推されたことがあったなぁ、とふと思い出したので今日はその話をします。
昔、夫の転勤に帯同して訪れた街で、短期間働いたことがあったんですけれども、そこで、職員の多くに宗教の勧誘を行っていた方がいらっしゃったんですよ。
その宗教の売りは、「光」です。
詳しいことはよくわからないんですけれども、その宗教施設に行って、ありがたい「光」を浴びせてもらうことで、悩みがすっかり解決するらしいんですよね。
その方の勧誘方法は、こうです。職員それぞれの抱えている悩みについて、まずは言及して、そのことは「光」を浴びることで良くなりますよ、という風に言ってくるのです。
例えば私の場合は、娘の夜泣きです。まぁ、大して悩んではなかったんですけども「赤ちゃんが必ず夜中に起きるから、よく熟睡できない」という話を職場でしていたんですよ。子育て中のお母さんならよくある愚痴ですよね?
他にも、結婚してしばらく経つけどお子さんに恵まれない人とか、なかなか正規雇用になれない人とかにもお声をかけられていましたね。
子供の夜泣きレベルの小さい悩みなんて、みんな抱えていますから、とにかく誰にでもお誘いをかけてくる、ハートが強くて営業向きの方でしたねぇ。
結局、上の方から注意されて1年でこの方は辞められたんですけれども、この「光」についてはたまに思い出すことがあるんですよ。
大変お手軽じゃないですか?ちょっと浴びるだけで問題が解決するなら。イメージもなんだかいいですよね。パァッと目の前が明るくなる感じで。
うつど真ん中のときも、思い出しました。いや、実際浴びには行かなかったですけどね。こういう弱ったとき、手軽に解決できるという手段にすがりつきたくなる人の気持ちはよくわかるなぁ、って思ったんです。
だから信仰していらっしゃる方のことは、全然「馬鹿みたい」とか「騙されてる」とかは思わないです。ごくごく自然だと思います。特に、追い詰められたときって、単純化されたものってすごく魅力的に写るんだなぁ、と思い知りました。
朝散歩して、薬も定期的に飲み続けて、思考の歪みを修正して・・・みたいなハードで色々やらないと治らない、と言われるよりも、シンプルに「光」で解決、と言われたらそりゃあそっちに飛びつきたくなりますよ。うん。
私がその時「光」を浴びに行かなかったのは、思うに「絶望」が足りなかったと思うんですよね。うつの底にいても
「そのうち良くなるだろう」
「仕事休めてラッキー」
みたいな気持ちが、ほんのちょこっとでも存在していたように思うんです。何しろ、根が明るい性格なのです。本当に、「絶望」以外何も残らないくらいの状況であったなら、浴びに行っていたかもしれません。
以上、
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
いつも感謝です(人•ᴗ•♡)