うつと発達障害の子3人を抱えても、私は楽しく生きていく。

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「実験のために子供を作った」人の育児論によせて

こんにちは。ぱなしのお玲です。

 

面白い記事があったので、シェアします。

 

qjweb.jp

 

開成高校から東京大学文科一類に進学し、塾講師を経て、現在はほぼ専業主夫で4人の子供を育てているという男性の話。

 

お子さん4人も育てているなんて、よっぽど子供好きかと思いきや、むしろ子供は嫌いだったという男性。

 

塾講師をしている中で、「できない子」はどうしてこんなに「できない」のか、その謎を解き明かすべく、いわば「実験」として子供を作ったという。一見これだけ読むと炎上しそうな内容なんだけども、なかなかどうして面白いから、一読の価値あり。

 

ちょっと、私が面白いと思ったところ、共感した部分を抜粋していきます。

サンプルが4もあると、実験場としてはめちゃくちゃおもしろくなります。同じように育てているのに、4人とも中身はまったく違って育つ。なぜなら、生まれつきの性質がまるで違うから。この性質は、育て方ではほとんど変わらない。

子供が生まれる前は、やり方次第で子供の性質を変えられるもんだと思ってましたけど、まあ無理ですね。変えられるなんて傲慢の極みでした。性質は変えられない。

そうなのよ。

 

うちの長女は「○○ちゃんは、すごい文武両道で」「どんな風に育てているんですか」と他の方から誉めていただくタイプの子なんですけども、私、全然勉強しろとか言ったことないんです。自分で勝手にやるんです。むしろやり過ぎだから、もうやめて外で遊んで来なよ、と言ったことならあります。

 

今はバレーと陸上もやってますけど、自分でやりたいことを見つけてきては、いつの間にか始めだして、バレーなんか地区の選抜メンバーに選ばれるくらいの実力のようです。

 

絵も好きで、すごく凝った作品を仕上げるから、読書感想画コンクール出品の学年代表に選ばれたりとかもしています。

 

私がやったことと言ったら、大きく産んで大きく育てたことくらい。

 

 

 

一方で、長男は、興味関心の幅が狭くて、ゲームは好きでとっても注力するんですけども、その他は全然です。言ったら「ゲーム以外は安定の低空飛行」状態。

(ちなみに児童精神科の先生にこの言葉を伝えたら、なんでかすごくウケてて、受診間隔が延びました。どうやら悪くない状態らしい。)

 

 

 

長女と長男で、育て方を変えたか、って言ったらそんなことはないですよ。だから、きっと子供によるんです。子供の、持って生まれた性質によるところが非常に大きい。

 

 

だいたい、もともと持っている「エネルギー量」が、子供たちによってまるで違うんですよ。これはもう、絶望的に変えられません。

エネルギーを使う方向を、大人の誘導によって変えることなら可能です。たとえば、暴力的な子のパワーを別のことで発散させてあげる。趣味や部活に振り向けるパワーを受験勉強に転換する。頭にばかりエネルギーを使う子には外で遊ばせたり、体を動かしてばかりの子には本を読ませる。塾講師の経験からも、これらにはある程度メソッドがあります。

ADHD(注意欠如・多動症)の子もそうです。凸凹があって画一的なスタイルにフィットしないだけなので、あり余るエネルギーの「コントロールの仕方」を本人に教えてあげればいい。

それってクルマにたとえるなら、ガソリンは入っていて、エンジンも回っているけど、ハンドル操作がうまくいっていないだけの状態です。あるいはギアチェンジの仕方が下手なだけ。その場合、親や教師はその子に運転技術を教えてやればいい。

一方で、持っているエネルギー量が著しく少ない子がいます。エンジンがそもそも回っていない。ガソリンタンクが空なんです。だから動きたくないし、頭も回したくない。

こういう子は、どうにもなりません。0を1にはできない。エネルギーがない子を「ある」状態にはできないんです。

 

 

エネルギー量だけはどうにもならない。変えることができない。親にできるのは子供の改造ではなく、正確な見極め。このことは、4人の子を育てる中で強く確信しました。

エネルギーのない子に、勉強させる方法がないわけではありません。ただ、エネルギー量は学習意欲とか飲み込みの速さに直結するので、エネルギーがある子との差は、いかんともしがたい。


極端なたとえをすると、どんな子も「ものすごく頑張れば」皆、東大に入れます。だけど、もともと持っているエネルギー量の多寡(たか)によって、合格するために費やさなきゃいけない努力の量は「桁」が違ってくる。悲しいかな、そこには生まれながらの格差がある。それを後天的に埋めることはできません。

親や社会に反抗したり、積極的に皆が行かない道を歩もうとしたりする子は、むしろエネルギーのある子です。そういう子は、エネルギーが別のところに向きさえすれば、勉強でも仕事でも、うまくドライブする。

一方、エネルギーのない子は往々にして、素直で、いい子で、従順です。親や社会に反抗するエネルギーもないので。うちの子供たちでいうと、4人のうちのひとりが、その典型でした。とにかく休んでいたい。頭も体も動かしたくない。これは厄介です。

「できない子って、なんでこんなにできないんだろう?」の答えは、これでした。

 

 

 

うちの子は、そろって発達障害です。興味関心のあることにはすごく注力できるんだけど、興味関心がないものは全然取り組めない。

 

興味関心の幅が、勉強と、運動と、絵と・・・っていっぱいある子と、ゲームしかない子の違い。これがここでいう「エネルギー量の差」なのかな、と思いました。

 

それでも長男は、ゲームについては興味関心があって、それを通じてお友達と仲良くやっているようだし、まだ良かったです。多分、何にも興味関心がない子もいるんだと思います。低空飛行すらできない、飛べない子。飛びたくない子。

 

子供も色々ですよね。

 

私は、子供をどうこうしよう、というのはもう手放しました。子供は子供で勝手にやってくれ。だって君たち、結局なるようにしかならんじゃろ?

 

衣食住は確保するし、必要があれば児童精神科にもつなぐけども、基本的に大事なのは私なので。私に無理のない範囲で関わるだけです。

 

私の場合も、エネルギー量が少ない人ということになるかもしれないですね。まぁ、もともと多くなかったんだろうけども、うつをやったことでさらに削られた感じがします。

 

 

 

長女の描いたフリーレン