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うつは悪者とも言い切れない(うつ休職からのリワーク体験記④)〈全n回〉

こんにちは。ぱなしのお玲です。



リワークでメンタル(疾患つながりの)友達になった中にKさんという年上の女性がいらっしゃいます。Kさんとの会話で、思い出したことがあったので、今日はそれを書きます。

 

私「Kさん。私、うつになって良かったこともあると思っているんです。例えば、リワークに来て我々は軌道を1ミリ変えられたじゃないですか。そんなことはうつにならないと経験しなかったことだから、まぁ、うつもなって良かったこともあったなと思っているんです」

 

Kさん「私はそうはとても思えない。リワークに来られたのは確かに良かったけど、うつにならなかったら来る必要もなかったわけでしょ。うつのひどい時期、私は地獄を見た。ぶっちゃけ、うつになるのはこれが初めてじゃないし、とてもそんな良かったことがあったという風には考えられない」

 

なんだかデリカシーのないこと言っちゃったな、と反省しました。

でも、そのときかすかな違和感を感じたんです。Kさんと私の間の認識が、根本的なところで何か違っているような気がしました。でもそのときにはよくわかりませんでした。Kさんとの会話から数日たって、やっとその理由が分かりました。

 

Kさんはうつを悪ととらえているけれど、私にとっては必ずしもそうではないということです。

 

脳が強制終了した日に、

「なんだかおかしい。頭がふわふわして、なにも考えられない。今まであんなに悩み事で頭がぐるぐるしていたはずなのに、パソコンがシャットダウンしたみたいに、頭が動かない」

という身体の異変を感じていた私ですが、同時にこうも感じていました。

 

「でも、なんだか嬉しい。今まで悩み事で本当に辛かったのに、考えられないから悩みも思いつかない。悩みから解放された気分だ」

 

脳がシャットダウンするまで、私はいくつかの同じ事を、ぐるぐると思い悩んでいました。出口にたどり着きたいのに、迷路になっていて、なかなか出口が見つけられない。そんな風に感じていました。問題が解決できないことに対する怒りや不安があり、同時に無力感や自己嫌悪も感じていました。そのときの状態はまるで、アクセルとブレーキを同時に踏み込んでいるようで、とても辛いことでした。そんな辛い状態から解放してくれた。私にとってうつはある意味救世主的な存在でもあるのです。

 

確かに、私もうつは辛くなかったとは言いません。でも「これは全てうつのせいだ。うつになりさえしなければこんなことはなかったのに」と思うことは私にはとても出来ないのです。私にとってうつは、辛い生活を余儀なくした存在であるとともに、悩みから解き放ってくれた存在でもあるのです。だから、病気=悪者と、切り捨てることがどうしてもできません。おかしく聞こえるかもしれませんが、ある意味うつに感謝しているのです。

 

Kさんと私の認識の違いはここにあるのだな、と遅まきながら理解できました。今度Kさんに会ったとき、忘れていなければ(なにせ会うのは1年後の予定なので)この話をしてみたいと思っています。

 

以上、

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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