こんにちは。ぱなしのお玲です。
神よ、私に
変えられるものを変える勇気と、
変えられないものを受け入れる冷静さと、
その2つを見極める知恵を与えたまえ。
ー神学者ニーバー
ベストセラーになった「嫌われる勇気」(岸見 一郎著、古賀 史健著)に出てくる言葉ですが、さて、問題です。自分の子供は、ここでいう「変えられるもの」でしょうか。「変えられないもの」でしょうか。
すみません。私が今考えた問題なので、答えはないです。
私は、「変えられるもの」に入るのじゃないかと以前は思っていました。だって「しつけ」とか「教育」って言葉がありますよね。これって正しい道に教え導いていくという意味ではないですか。間違っている方向に進んでいたら、方向転換させて(つまり変えて)あげるのが大人の役割だと思っていたのです。それが、うつ発症前の考え方でした。
でも、うつ発症後の今は、自分の子供で、たとえ血のつながりがあろうとも、所詮は他人に過ぎず、「変えられないもの」に入るのだという風に考え方が180度変わりました。変わらざるを得なかったというのが言い方としては正しいかもしれないですね。子供を変えようと試みても、ついには変えられなかったので。
ただし、「子供自身で変わる必要性を感じたときには変わる」もしくは「変えた方がメリットがあると子供自身が判断したときには変わる」ということなんだと思います。子供がそう感じるタイミングは、今かもしれないし、1ヶ月後かもしれないし、30年後かもしれない。ついには一生訪れないかもしれない。つまりは、そういうことなんだとわかりました。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.
これも「嫌われる勇気」に出てくる一節で、どこか外国のことわざですが、今は深く納得しています。今まで、のどが渇いていない馬に向かって、「水分補給をしないと身体に悪いから。病気になるから。病気になったら面倒見なきゃいけないのは私なんだから、さぁ飲んで」と言ってグイグイ手綱を引っ張って飲ませようとしていました。そんなことしても、まー飲まないですよね。私にできることは、馬を水辺まで連れてきて、水を飲む気になるまで、後ろに控えて気長に見守ることだったのです。
読書は本当に多くのことを私に教えてくれます。
以上、
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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