こんにちは。ぱなしのお玲です。
この間、駅にある地図を見ながら、ああでもないこうでもない、と話し合っている(風な)外国人2人組をお見かけました。
「これは、もしや、何かお困りかしら?」
と思って、ついつい英語で話しかけちゃいましたよね。
「ありがとう、でも大丈夫だよ~」という返事だったので、ホッと安心したんですけども、私、こういうところあるんです。困っている人を見ると、見過ごせないんですよね。
余計なお節介というか、あふれ出る親切心を持っていて、つい「私にできることはなにかないかしら?」と考えちゃう。
これって、私の個人的な性格みたいに思えますけども、実は発達障害に由来するようなんですよね、っていう話を今日はしたいと思います。
発達障害って、脳機能に偏りがあるので、「頭で共感する」ことがけっこう苦手なんです。
「この人は今こう思っているんだろうな」って推測する力が弱くて、いわゆる「空気を読む」ということが難しいんですよ。
だから、「発達障害は共感できない」みたいに誤解を受けることがあるんですが、それはとんでもない間違いです!
「頭で共感」は苦手ですけども、代わりに「心で共感する」ことはむしろ、定型発達より強かったりします。例えば
- 困ってる人を見ると胸が痛い
- 悲しい人を見ると自分も重くなる
- 痛がっているのを見るとゾワッと共感してしまう
みたいなことですね。
だから、困っている人を見かけたら
「見ちゃったらもう放置できない」
「声かけた方が落ち着く」
「むしろ声をかけたいという衝動が抑えられない」
ということになり、ついつい話しかけてしまうんです。
自分がこういう質(たち)なので、「定型発達の人って、冷たいよなぁ」と時々感じてしまいます。
いや、わかってます。
それがむしろ普通だし、自他の境界線がハッキリしていて、必要な自己防衛感覚が備わっているということだと認識しています。
どちらがいいとか悪いとかではないんですよ。
ただ、脳の違いがあるだけです。
そういうものなんだ、としか言えません。
私はこういう自分を愛しているし、他の人がちょっと冷たく感じたりすることもあるけれども、それはそれで非難する気持ちもなく、ありのままに受け入れています。
自然体というかね。
しかし、自分の「善良な人格」と思っていたものが、実は発達特性から来ていると知ったときは、ショックを受けたりもしました。自分のアイデンティティに揺らぎを感じて、戸惑ったりしていたわけです。
今はその時期を超越したというか、それが「今世の私」と思って、丸ごと許容しています。
この境地に達すると、すごくラクですよ。
I love myself.だし、
I am beautiful as I am.だし、
I am proud of being disabled.です。
中年になってやっと、たどり着くことができました。
ここまで至るには、あっちでゴツン、こっちでゴツン、といろんなところにぶつかって、大変な道のりがありました。
でも、平坦ではなかった分、人よりいろんなことが経験できて、引き出しも増えて、人間性に深みが出ました。
良かったんじゃないですか。
とてもそうは思えない時期もありましたけれども、いま振り返ってみたらみんないい思い出です。
以上、
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
いつも感謝です(人•ᴗ•♡)